豊臣秀吉 年表 豊臣秀吉の歴史と歩み

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小田原城を落とした秀吉/年表[18]

豊臣天下への詰め/18

1589年に後北条氏の家臣・猪俣邦憲が、真田昌幸家臣・鈴木重則が守る上野国名胡桃城を奪取したのをきっかけとして、秀吉は1590年に関東に遠征、後北条氏の本拠小田原城を包囲した。

東北諸大名にも、臣下としての小田原参陣を要求。

しかし東北の大半を制していた伊達政宗は、派兵を渋り姿を見せなかった為に、秀吉は激怒する。

その様子を知った政宗が、あわてて死装束をまとい秀吉の元に赴き謝罪した為、秀吉は遅延を許した。

この時秀吉は平伏する政宗の首を扇子で軽くはたき、「もう少し来るのが遅ければここが危なかった」とつぶやいたとも言われている。

小田原城は、上杉謙信や武田信玄でも落とせなかった堅城だが、天下をほぼ手中に治めた秀吉の前では無力であった。

三ヶ月の篭城戦ののちに北条氏政・氏直父子は降伏。氏政・氏照は切腹し、氏直は紀伊の高野山に追放された。(小田原征伐)

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豊臣秀吉 年表

元号

西暦

秀吉の歩み

天文 6

1537

尾張(愛知郡中村)に生まれる。母はなか、父は織田信秀の足軽木下弥右衛門と いわれているが定かではない。
光明寺に預けられ、 矢作橋で蜂須賀小六と出会ったといわれている。[1]

天文23

1554

織田信長に仕える。[2]

永禄 4

1564

浅野又右衛門長勝養女(実父杉原定利)ねねと結婚する。[3]

永禄 8

1565

信長の朱印状の副状に、木下藤吉廊秀吉と署名した。[4]

永禄 9

1566

墨俣築城、斉藤竜興(たつおき)の兵を破る。[5]

永禄12

1569

京都奉行の任につく。但馬、播磨の出兵に参戦する。[6]

元亀元

1570

信長、家康とともに浅井・朝倉を近江姉川に破り、横山城を守備。[7]

天正元

1573

この頃羽柴と改姓。信長に従い小谷城を攻め、浅井父子を攻め滅ぼす。
のち浅井氏の旧領江北三郡をもらう。[8]

天正 2

1574

今浜に築城して長浜と改め、筑前守を名乗った。[9]

天正 3

1575

信長、家康とともに武田勝頼を三河長篠に破る。
明智光秀等と一向宗徒を攻め2000余人を切り捨てる。[10]

天正 8

1580

別所長治を三本木城に攻め、陥れた。[11]

天正10

1582

本能寺の変。毛利氏と講和し高松城主清水宗治自刃させる。
山城山崎に明智光秀を破った。

織田家の宿老、尾張清洲城に集まり、信長の後継を三法師(信秀)と定め、後見につく。[12]

天正11

1583

賤ケ嶽に柴田勝家の将佐久間盛政を破り、越前北の荘城に柴田勝家を攻め滅ぼす。
大坂城の普請始まる。[13]

天正12

1584

小牧・長久手の戦い。徳川家康、織田信雄の連合軍と戦い破れる。[14]

天正13

1585

四国の長宗我部元親を降伏させ、四国を平定する。
従1位関白に叙任し、姓を藤原と改め、関白拝賀を行った。[15]

天正14

1586

妹(旭姫)を徳川家康の正室にする。家康上洛、大坂城にて秀吉に謁見。[16]

天正15

1587

兵2万6000を率いて、九州島津氏を征伐するため大坂を出陣。[17]

天正17

1589

側室淀殿、淀城にて鶴松を生み、大坂城に移る。[18]

天正18

1590

小田原城に北条攻め。北条氏直、織田信雄の陣に投降。ついに北条氏滅ぶ。[19]

天正19

1591

羽柴秀長(秀吉弟)、子鶴松没。養子羽柴秀次、関白左大臣に任ぜられる。秀次太閤と称す。[20]

文禄元

1592

諸大名に朝鮮出兵を命ずる。大政所(母なか)没す。[21]

文禄 2

1593

側室淀殿が大坂城で捨丸(のちの秀頼)を生んだ。[22]

文禄 4

1595

秀次の左大臣、関白の官職を奪い、福島正則等を高野山におくり、秀次に切腹を命ずる。
家康以下諸大名30名の連署血判をとり、捨丸に忠誠を誓わす。[23]

慶長 3

1598

秀頼とともに醍醐寺三宝院に観桜の宴を開く。徳川家康、前田利家等5大老に秀頼を託す。
石田三成等5奉行と誓書を交換。後を託す。伏見城に没す。秀頼後を継ぐ。(62歳)[24]

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