豊臣秀吉 年表 豊臣秀吉の歴史と歩み

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豊臣政権短命の要因を…

織田信長を踏襲する

秀吉は、政策面では織田信長を踏襲し、楽市楽座・朱印船貿易による商業振興と都市の掌握・貨幣鋳造による商業統制を行った。

太閤検地と刀狩は税制を確立させ、兵農分離と身分の格差を徹底させて江戸時代の幕藩体制の基礎を築いたと評価される(但し、近年では刀狩については不徹底に終わったという見方も有力である)。

また、いち早く当時のキリシタンの危険性(大航海時代のヨーロッパの植民地政策;日本人奴隷貿易、1596年のサン=フェリペ号事件など)を認識し、その脅威の取り除きをはかった。

この政策はより徹底されて江戸幕府に受け継がれた。

しかし、晩年に領土拡大を目論んで行った対外的な侵略戦争である文禄・慶長の役は失敗に終わった事が原因で、これに不満を示した豊臣家の家臣が徳川家に味方する者が相次いだ。

これにより豊臣家の政治基盤が弱体化したため、結果的に豊臣政権が短命に終わる一つの原因になった。

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豊臣秀吉 年表

元号

西暦

秀吉の歩み

天文 6

1537

尾張(愛知郡中村)に生まれる。母はなか、父は織田信秀の足軽木下弥右衛門と いわれているが定かではない。
光明寺に預けられ、 矢作橋で蜂須賀小六と出会ったといわれている。[1]

天文23

1554

織田信長に仕える。[2]

永禄 4

1564

浅野又右衛門長勝養女(実父杉原定利)ねねと結婚する。[3]

永禄 8

1565

信長の朱印状の副状に、木下藤吉廊秀吉と署名した。[4]

永禄 9

1566

墨俣築城、斉藤竜興(たつおき)の兵を破る。[5]

永禄12

1569

京都奉行の任につく。但馬、播磨の出兵に参戦する。[6]

元亀元

1570

信長、家康とともに浅井・朝倉を近江姉川に破り、横山城を守備。[7]

天正元

1573

この頃羽柴と改姓。信長に従い小谷城を攻め、浅井父子を攻め滅ぼす。
のち浅井氏の旧領江北三郡をもらう。[8]

天正 2

1574

今浜に築城して長浜と改め、筑前守を名乗った。[9]

天正 3

1575

信長、家康とともに武田勝頼を三河長篠に破る。
明智光秀等と一向宗徒を攻め2000余人を切り捨てる。[10]

天正 8

1580

別所長治を三本木城に攻め、陥れた。[11]

天正10

1582

本能寺の変。毛利氏と講和し高松城主清水宗治自刃させる。
山城山崎に明智光秀を破った。

織田家の宿老、尾張清洲城に集まり、信長の後継を三法師(信秀)と定め、後見につく。[12]

天正11

1583

賤ケ嶽に柴田勝家の将佐久間盛政を破り、越前北の荘城に柴田勝家を攻め滅ぼす。
大坂城の普請始まる。[13]

天正12

1584

小牧・長久手の戦い。徳川家康、織田信雄の連合軍と戦い破れる。[14]

天正13

1585

四国の長宗我部元親を降伏させ、四国を平定する。
従1位関白に叙任し、姓を藤原と改め、関白拝賀を行った。[15]

天正14

1586

妹(旭姫)を徳川家康の正室にする。家康上洛、大坂城にて秀吉に謁見。[16]

天正15

1587

兵2万6000を率いて、九州島津氏を征伐するため大坂を出陣。[17]

天正17

1589

側室淀殿、淀城にて鶴松を生み、大坂城に移る。[18]

天正18

1590

小田原城に北条攻め。北条氏直、織田信雄の陣に投降。ついに北条氏滅ぶ。[19]

天正19

1591

羽柴秀長(秀吉弟)、子鶴松没。養子羽柴秀次、関白左大臣に任ぜられる。秀次太閤と称す。[20]

文禄元

1592

諸大名に朝鮮出兵を命ずる。大政所(母なか)没す。[21]

文禄 2

1593

側室淀殿が大坂城で捨丸(のちの秀頼)を生んだ。[22]

文禄 4

1595

秀次の左大臣、関白の官職を奪い、福島正則等を高野山におくり、秀次に切腹を命ずる。
家康以下諸大名30名の連署血判をとり、捨丸に忠誠を誓わす。[23]

慶長 3

1598

秀頼とともに醍醐寺三宝院に観桜の宴を開く。徳川家康、前田利家等5大老に秀頼を託す。
石田三成等5奉行と誓書を交換。後を託す。伏見城に没す。秀頼後を継ぐ。(62歳)[24]

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